店と運命共同体になった結果、究極の選択を迫られた話

「私について」のプロフィールで自分のことを「煙屋さん」と名乗っているが、ここでの「煙屋さん」は焼肉屋でも燻製屋でも花火屋でも銭湯でもなく、

シーシャ(水タバコ)カフェ のことである。

その日も私は、オープン前のシーシャカフェにいた。

店がオープンする14:00まで、あと1時間ほど。
軽く掃除をしたり、窓を開けて空気を入れ替えたり。
今日も外は快晴。眼下には中之島の緑が広がり、バラ園のバラが咲き誇っている。
それを囲むようにしてゆったり流れる、大川と土佐堀川。
大阪でも最も美しい風景の一つとして、私はここを愛している。

さて、床の掃き掃除を終えた私は、あることに気づいた。

店の奥には5人ほどが入れる小さな半個室があり、
レースのカーテンで区切ることができるようになっている。

レースのカーテンは開閉自由で、開放している時は壁につけたブロンズのカーテンホルダーに引っ掛けておくようになっているのだが。

ネジが緩み、ホルダーが抜けかけた乳歯のように、グラグラしているのだった。

これはいけない。じきに抜けてしまいそうだ。

私はバックヤードに戻り、ごちゃごちゃといろいろなものが詰め込んである引き出しを漁った。確か、このあたりに……。

あった。瞬間接着剤だ。

パテなどで穴を埋められたらよかったのだが、あいにく店にはない。ひとまず一旦ネジは諦め、直接瞬間接着剤で壁にホルダーをくっつけようと思った。

慎重にカーテンホルダーの裏にたっぷりと瞬間接着剤を塗り、裏の接着剤には触らないように気をつけつつ、慎重に慎重に、ぎゅっと壁にホルダーを押し付ける。

あ」

裏は、触らなかった。確かに。

でも、


この穴からにゅっと溢れた瞬間接着剤が、私の人差し指と中指をロックオン★
見事、壁にカーテンホルダーはついたが、私の右手も完璧に、がっちりと、しっかりと、ホルダーに固定されてしまった。

でも私は知っている。こんなときは焦ってはいけない。
私は左手で、慎重に、右手を引き剥がしにかかった。
まだ完璧には固まっていないはず。てこの原理を利用してそっと剥がせば、皮膚を傷つけずに分離も可能なはずだ。

短気は損気。急がば回れ。自分に言い聞かせながら、左手の爪をホルダーと右手の境目に滑り込ませる。

「あ」

二度あることは三度ある。人を呪わば穴二つ。

ホルダーにも二つの穴があった。

今度は下の穴から漏れ出た瞬間接着剤が、私の左手の人差し指、中指、薬指の第二関節を、手の甲側からロックオン★

自分、接着剤つけすぎやねん。

自分自身に毒づいても、後の祭りである。

店の壁、カーテンホルダー、右手、左手、私。
全ては渾然一体となって、私は両手を動かせず、蝉のように店の壁に貼り付いていたのだった。

心から思った。閉店前じゃなくてよかった。

いまはオープン30分前。あと30分待てば…!!!!

果たして、14時まであと5分。エレベーターがこのフロアで止まり、店長が入ってきた。
私と目が合い、そのままフリーズした。

「オハヨウゴザイマース」

私は小声で挨拶した。

「何してんの」

「ちょっと、ホルダーを瞬間接着剤で貼ろうとして……タスケテクダs」

「14時半に、そこ予約入ってるから。それまでにどうにかして」

店長はそういうと、慌ただしくオープン準備に入った。

残されたのは、立ち尽くす私。

この時点で、「店長に除光液なりぬるま湯なりをもらって救出してもらう」という穏当なルートは断たれた。
どちらにしても、それでは14時半には間に合わない。

私に残された道は、不穏当な二つのルートのみ。

1)「肌よ裂けよ」とばかりに、指の皮膚1枚(以上)を犠牲にして強引に壁とrip offする

2)私はこういう形状の前衛芸術だ、と自分に言い聞かせ、壁に貼り付いたままで「イラシャッセー」と予約客に挨拶をする。

……どちらも嫌だ。避けたい。

そこで私は、もう一つのルートを見出した。

「ふんぬ」

わずかに動かせる両手の掌でホルダーを握り込み、力任せにホルダーを壁から引き剥がしたのである。

幸か不幸か、あれほど「しっかり貼り付いて」と願った壁紙とホルダーの相性は、私とホルダーよりも悪かったらしい。
ホルダーはめりめり音を立てて、グラグラしていたネジと、比較的しっかり止まっていたもう一方のネジとともに、壁から引き抜かれたのだった。

こうして無事、お客様の予約席は守られた。

いつも通り完璧な笑顔でお客様を迎える店長と、
その後ろで、団子になっている手を洗い物としているふりをしてキッチンに沈め(武士の情けで入れてもらったぬるま湯で、必死で接着剤を溶かしている)、
不動の体勢で「イラッシャッセー」とちょっと涙目で挨拶をする私。

「ひ、ひどいっ、パワハラだっ、……訴えてやる……っっ!!」と言えないのは


私がこの店のスタッフではなく

オーナーだからである


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