※誤解を生むタイトルです。
「三つ子の魂百まで」の「三つ子」はtripletsではなく数えで三つの子、つまり乳幼児のことですね、念のため。
これはXにも書いたネタなのだが、「ニコ=三つ子説」というのが友人うちのジョークとして割と昔からあって。
22歳の私は、心理学の卒業論文に追われながら、専門学校の卒業制作で夜なべしてドレスを作っていた。
25歳の私は、昼間はアパレルの正社員としてファッションデザイナーをし、夜は塾の常勤講師として2時まで生徒に居残りさせていた(恐ろしくスパルタな塾だった)。
「活動量が尋常ではない、本当は3人いるんじゃないか?」ということだ。
イッコ、ニコ、サンコが並行して「ニコ」として活動しているのではないか、ということだったが、最近は3人ではどうやら無理だ、5つ子かもしれない、ということになっている。
いつからこんなことに、と遡ってみたら、思ったより古かった。
ニコは三つ子ではなかったが、ミコのニコはいたのである。
私の生家は神社である。
当時はまだ結婚式をホテルや結婚式場でするという風習はなく、
神社で式をして、そのまま神社にある宴会場で披露宴をするというのが
最もメジャーな結婚式だった。
(本木雅弘→藤原紀香あたりで再びちょっとだけ神前式がブームになりましたが、それもすでに昔の話ですね…)
適齢期の結婚が当たり前の時代。
うちの神社も毎週日曜ともなれば、10時、12時、14時、16時と、
2時間おきに結婚式があり、2階建ての宴会場にはピストン方式で招待客が押し込まれ、朝から晩まで宴会宴会だった。
で、私は小学2年生にして、
巫女として社会人デビューを果たしたのだった。
巫女といっても、お正月の巫女バイトのような、
装束を着てニコニコお守りを授与するマスコット的なアレではない。
結婚式の司会進行をする、ばりばりのプロ巫女である。
結婚式における巫女さんの役割はこんな感じ。
式前
新郎様に、式で読む「誓詞」を渡し、式で読んでもらうので下読みをしておくように伝える。
「わぁかわいい、写真撮らせて♪」なんていう親戚のおばちゃんのリクエストにも笑顔で応える。
その後、新婦様の着物の裾をからげて持ち、カニ歩きで式場まで先導。
式中
祓言葉→祝詞 父(当時の禰宜、今は宮司)が頑張る。巫女は眠い。ひたすら耐える。
三々九度 大中小の三つの盃で、婿嫁、嫁婿、婿嫁の順に御神酒を酌み交わす、夫婦固めの儀。
※ ちなみにこれは略式です。本当は3つの盃で3回ずつ、合計9回になるから三々九度。
親子固め 続いて、新郎の親と新婦、新婦の親と新郎が、同じ盃で御神酒を酌み交わす、コロナ後はどうなったのか心配な親子固めの儀。
誓詞 下読みしてもらっていた誓詞を新郎が読む。新婦は最後に「妻 〇〇子」と囁くだけという、これまた今となっては時代錯誤なやつ。
これ、何百回も聞いたし詰まったらサポートしたから、今でも空で言える。
「誓詞 今私たちは、==大神の神前に、婚姻の礼をおこないました。今よりのちは、互いに愛し、相助け、苦楽を共にして、終生変わることありません。ここに固く誓います。日付、名前」
てやつなんだけど、「終生変わることありません」を「終生変わらぬことありません」と言っちゃう事故率が3割を超えてて、きっと今の私なら、横に「注意」と赤の波線を引いたであろう。
彼らのその後が心配である。
玉串奉納 新郎新婦、両家の両親、仲人の順に玉串を渡し、神前にお供えしてもらう。この玉串の回し方とか一礼二拍手二礼も巫女がサポートする。
親戚固め 入れるなり「酒だぁ」と飲もうとするジジィを「まだです!」と制しつつ、全員の盃に御神酒を入れて、全員で乾杯する。
これで、式は終了。
式後
全員の前に「式肴」という、御神酒のための簡単なつまみが置いてある。昆布と梅干しとか。
これを紙に包んで持って帰るので、新郎新婦の分は包んであげて、お仲人さんに預ける。
ここでも盃まで一緒に包んでしまう粗忽者がいるので、周囲に目を光らせ、「あっ、盃は持って帰らないでください!」と言って回る。
新郎新婦は写真撮影に向かうので、それを送り出すとささっと着替えて式場の片付け、次の式の準備をして、再び着替え。
最終は、テーブルとか椅子の撤収まで。
これを、小学2年生がやるのである。
しかも、これは松竹梅の梅コース。
松コースは雅楽が入った。
(普段は「越天楽」をカセットデッキで流していた笑)
まあそんなのは滅多になく、竹コースだと笛、太鼓と神楽が入る。
この場合、鈴や剣を持って、神楽を舞うのも私。
(ちゃんと習いに行かされた。太鼓もついでに教えてもらった。)
ちなみに1セットは2時間弱、報酬は2千円。
時給千円は、当時としては破格だった。
結婚式は私が巫女デビューした頃が多くて、それからは次第に結婚式場が増えてきたんだけど、そうなると今度はよその結婚式場から、出張の要請があった。
神主さんはいるので、ピンで飛ばされるわけである。売れっ子である。
とはいえ、まだ小学2年生。九九もできないクソガキである。
白衣に紅袴、舞衣まで着せられてから、「おしっこ。。」と言い出したこともあった。
母は黙って袴を脱がせてトイレに行かせてくれたが、後で強烈なビンタをされた。
「お前それでもプロかっ!」と一括。
鼻水と涙を垂れ流しながら式をこなした。
母は、この神社の跡取り娘。自身も幼少期から巫女をしていた叩き上げである。
ちなみにジュニアサイズの巫女装束などもちろん売られてはいなかったので、全て母の手縫いだった。
舞衣の鶴と亀の絵柄は、ステンシルで作ってくれたw

こんな感じ。
私の「仕事」の原体験は確実にあの頃だが、これはプロ根性を叩き込まれたとも言えるし、逆に変な幼さが今でも残っている、と感じる部分もある。
なんというか、プロなんだけど、今でも「おしっこー」と言ってしまうような甘さがまだ残っているのだ(いや、「おしっこー」とは言わないけど)
高校くらいのアルバイトの時は、本当に甘かったなあと自分でも思う。
社会人でも、まだ甘かったな。
先輩たちに随分甘やかしていただいた。
とはいえ、「お金をもらうとは自分の時間を売ること。
その時間、与えられた役割を果たすこと」という感覚は、確かに身についたとは思う。
そして、小学生(ニコ)と巫女(ミコ)の双子から始まった私は、それ以来アメーバのように増殖を続けているのである。

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